
ART by TAKUMIN
26日の朝、玄関の扉を開けると
春の陽光がシャワーのように降り注ぎ
鶯の第一声が響きました。
春を告げることと、別れを告げること
背中合わせの記憶は
人々にどのくらい深く根付いているのでしょうか。
「誰にも海の大きさをはかれないように
あなたもわたしがどれだけまっすぐな魂を注いできたか
知ることは永遠にない
:
行きなさい、行きなさい
わたしはあなたを手放してあげる
さよならは言いません
後ろをふりかえることもありません
わたしは、ただこの深い、深い哀しみだけを置いていきます
二人で育てた喜びと同等に大きいこの哀しみを」
~shape of miracleより抜粋~
「アルクトゥルス人から地球人へ」には
アルクトゥルス人に共通した課題と認識されている部分が
サナト・クラマの言葉として記されています。
「宙域司令官という私の任務は、これまでも今も一貫して
私の行動の原動力であり続けていますが、
個人としての私の心に翳りをもたらし、
深い悲しみを感じさせてもいます。
私たちアルクトゥルス人に共通する使命遂行気質とでもいうべき
強い緊張感は、個々の心の叫びあるいは希求によって緩和される必要が
あるのだと私は思います。
そういま言った通りです。これは記録に残ります。」
アルクトゥルス人が初めて明かした胸の内であろうかと思いました。
その記録も含め地球に種がもたらされていたようです。
映画「KU-KAI」においても楊貴妃は死ぬことも生きることも選べない
というくだりがありますが、
わたしは、二者択一の選択の問題ではなく
ただ、永遠の視点に道を譲るという第三の道の選択であると
感じています。
その受け取り方は、次元差として如実にあらわれているように思います。
今日、この日は、
この公人か私人かという選択にまつわる記憶が永遠の視点にとってかわる日、
ごめんなさい、許してください、ありがとう、愛しています
以下リンク先記事を教えていただきました。
ご紹介します。
2018/2/28 code:Y