調香師に続き処刑人
(BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)より引用させていただきます。)
~「ムッシュー・ド・パリ」のサンソン家4代目シャルル=アンリ・サンソン。
彼こそが人類史において2番目に多く処刑をこなしたとされ、心優しく慈愛に満ち、かつ強固な死刑執行・反対論者でした。
サンソンは国王と面識があり、その人柄に敬愛を感じていました。
フィクションの影響からか、無能で趣味にかまけた愚鈍な暗君とされることも多いルイ16世ですが、実際は勤勉かつ慈悲深さを備えた善良な王であり、革命前までは人気もありました。
彼が革命を止められなかったのは、ルイ14世と15世の浪費で財政破綻していたことが大きいでしょう。
国王をギロチンに送り込む側の理屈はこうでした。
「確かにルイ・カペー(ルイ16世の退位後の名)は悪い男じゃない。だが本来主権とは庶民にあるもので、王とはその主権を簒奪しているのだ。王政そのものを裁かねばならない」
処刑賛成派と反対派の意見は拮抗。しかし、僅差で賛成派が勝利し、国王処刑が決まったのです。
なにも国王を殺さなくてもよいのではないか……と思う市民は数多くいましたし、王党派と呼ばれる活動家たちは断固として処刑に反対でした。
処刑当日、血の気の失せた顔でサンソンは待ち続けました。
勇敢な王党派の活動家たちが、国王奪還に訪れることを。奇跡が起きて、国王が救われることを。
しかしそれは叶わぬ願いでした。
サンソンは王の首の上にギロチンの刃を落とし、血の付いた首を群衆の前に掲げました。このときサンソンは、誰にも見られないように、国王の血にハンカチを浸しました。
威厳に満ちた王妃マリーアントワネット。
心優しく、天使のように善良なルイ16世の妹・エリザベート王女。
大勢の貴族。
科学者。
革命の闘争に敗れ去った政治家。
「処刑されればあの世で夫に会える」と、おしゃれをして軽い足取りでギロチン台に上る政治家の未亡人。
不運なめぐりあわせで杜撰な裁判に巻き込まれ、死刑判決を受けた少女。
……と、その数、実に2700人ほどにのぼったのです
サンソンはストレスのあまり、耳鳴りや幻覚、手の震えに悩まされました。
何百人も斬首し続けるため、助手の確保やギロチンのメンテナンスにも金がかかり、家計も火の車です。それでも先祖代々のつとめをサンソンはこなさねばなりませんでした。
およそ2700名を処刑した4代目サンソンがようやく引退できたのは、恐怖政治が終わりを迎えた1794年の翌年、1795年のことでした。
4代目サンソンは人間味にあふれ、心優しい人でした。
革命と恐怖政治の時代、死刑執行を決めた政治家は憎まれ、彼ら自身もまたほとんどが処刑されることになりました。
しかし、サンソン自身の死を望む声はまったくあがりませんでした。
むしろ遺族たちは、死の直前まで死刑囚に優しく接し、希望をかなえてあげたサンソンに感謝の念を示すほど。
サンソンはルイ16世の血のついたハンカチを家に持ち帰り、僧と修道女に頼みこみ、国王のためにミサも行っています。
当時はカトリック信仰すら否定されていた時代です。しかも処刑した王のミサです。
発覚すれば死の危険があるにも関わらず、カトリック信仰がナポレオンによって認められるまで、10年ほどにわたりサンソンは秘密のミサを続けました。
そんなサンソンの夢は、フランスが死刑制度を廃止することでした。
冤罪の人を殺さないために。犯罪者にも立ち直る機会を与えるために。そして、自分たちのような社会から蔑まれる処刑人一族を生み出さないために。死刑制度は廃止されるべきだと、生涯願い続けたのです。
彼の願いがかなったのは1981年。
サンソンの死から150年後のことでした。~
洞窟の中で、
幻想が真実とおきかわり、おびただしい存在の絶望や憂いを
ひたすら理解し、その真実を越えることをいのる母性の苦悩ははかりしれない
一人ひとりの存在が、自己完結の道のりに入り賛美できる
シャングリ・ラを夢みた
女神の夢
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2017/9/28 上弦の月 code:Y