今日は昭和の日、
令和の時代の幕開けに水面下で確実に蠢く新風をここ数日肌で感じ取りました。
4/26、わたしは、れいわ新選組を立ち上げた山本太郎代議士の
名古屋駅前で開催された街頭演説のお手伝いに伺いました。
以前から、街頭演説をネット中継で拝見し
このところの選択は非常に関心高く
直接お話を伺う、そしてその波動に触れることで、
その真意を確かめたいと考えたからです。
そして、その翌日は、
山本氏と一日を共にしました。
囲む人もなく、静かに黙々と行動する時を
ご一緒させていただきました。
外を歩いていると、
車ですれ違う人も気づく人がいて、車をとめてお話なさる人、
突然訪問すれば、本人が玄関先で立っていることがにわか信じられず、
しばらく呆然となさる人など
いろんな光景に遭遇しました。
ほんとに地道な誰もしらない姿に
どれほどの真実とどれほどの責任感を背負っていらっしゃるのだろうと
わたしは静かにその後ろ姿を見ていました。
国会での度肝を抜かす言動に批判的な方も沢山おられます。
わたしはそのお姿を拝見した時に、
人間だれしも好きで敢えて世間の人々に批判されるであろう行動を
とるとは思えず、その根拠が何であるかをとても知りたいと思ったのです。
街頭演説での発言や、今回の離党と立ち上げの選択のプロセスを経て
わたしはいよいよその根拠が明らかになってきたと素直に受け取りました。
4/10発刊された「僕にもできた!国会議員」
あなたが最近「死にたい」と思ったのはいつだろうか?
私は10分前だったかもしれない。
あなたはどうだろうか。
というとてもショッキングな言葉から始まります。
牛歩の根拠も明らかとなっています。
世の中の人々がこの人に託したら何とかなるだろうという依存から
脱することの大切さを改めて痛切に感じる瞬間でした。
20年前に出会った今は亡き議員のスローガンであった
「官民の役割を明確に!」
民も個人の、自分自身への責任(権利と義務)を放棄せず
共依存、利権による癒着から離れ、
官にしかできないことを明確にしていくことに奔走していた
日々をあわせて回想しつつ
轟く新風を肌で感じつつ平成の幕を閉じたいと思います。
翌28日は、福井地裁の裁判長として日本で初めて、原発の運転差止の
仮処分決定を出された三重県出身の樋口英明元裁判長のお話をお聞きしました。
樋口氏は、ご自分は政府や裁判所からの圧力の中から出した英雄でもなく、変り者でもない。
誰でも解り、加わることができ、議論できるということを大前提に、
良識ある理性でもって理論的に原発が安全であるか、否かを最終的に判断されたことを
話されました。
そのうえで仮処分決定が覆されたことに対しては、非常に危機感をお持ちで、
国の存亡に関わるという認識をお持ちでした。
原発ほど憲法違反はないということです。
使用済燃料に関しましては、後世に負の遺産を遺さない義務をはたすべき権利を
要請することも憲法で守られていることは明白です。
義務を果たすべきは、
この国の首相、そこからもたらされる規制、都道府県知事、市町村長、裁判所
そして国民と明確におっしゃられていました。
三重県は1963年に芦浜原発の計画発表以来、37年に渡る論争の末
2000年2月22日に白紙撤回を知事が表明しています。
二日間の見聞で、
ともすれば二極化する主義主張に利用されがちな立場においても
純粋な意図そのものが明白になり燦然と立ち上がるそんな時代の始まりを強く感じました。
写真は、れいわ新選組発信を一部お借りしました。
2019/4/29 昭和の日によせて code:Y